マセラティA6G 2000は、創立以来純レーシングマシーンの製作に専心してきたマセラティが、初めてロードカーに移行した時期の作品。マセラティ兄弟が最終期の作品として残していったレーシングスポーツ用の直列6気筒SOHC 1978ccのエンジンをディチューンし、ピニンファリーナを筆頭とする当時の名門カロッツェリアたちが架装したエレガントなクーペ/カブリオレボディに搭載するという、非常に贅沢な内容のグラントゥリズモだった。生産台数はピニンファリーナ製が9台、フルア製が6台、そしてヴィニャーレ製が1台の総計16台のみ。今回の出品車は、そのわずか1台のみのヴィニャーレ製クーペである。
当時のカロッツェリア・ヴィニャーレの通例に従って、このマセラティA6G 2000のボディデザインを担当したのは、新進気鋭のスタイリストとして売り出し中のジョヴァンニ・ミケロッティであった。ともにスタビリメンティ・ファリーナ社で修行したアルフレード・ヴィニャーレとジョヴァンニ・ミケロッティは、戦後間もない時期にそれぞれ独立。当時のイタリア自動車界を代表する名コンビとして知られることになった。そして、このクルマで初めて試されたマセラティとヴィニャーレ/ミケロッティのコラボレーションは、1963年にデビューする量産グラントゥリズモ "セブリング" として結実することになるのである。
今回の出品車はパリ在住のエンスージアスト、マルセル・シュワブ氏が、マセラティの有力ディーラーだったグリエルモ・ディ・ローマ社を介して特別注文。1951年のパリ・サロンに出品された。また、トゥール・ド・フランスに出走した記録も残っているほか、当時の "Road & Track" 誌にてロードテストにも供されている。その後、北米で売却されたのちは幾つかのレースに参加。1960年代にはあのキャロル・シェルビー本人の手でACコブラ260用V8エンジンを搭載されるなど、現代の常識では考えられないような改造を受けつつ生き長らえてきた。しかし、原形を留めないほどの惨状となっていたこのクルマを1972年に発見したスポーツカー愛好家、アメリカ人のポール・モリガン氏は、その後実に四半世紀もの歳月を費やしてレストア。失われていたオリジナルエンジンも、かつて預けられていた工場敷地内の土中から発掘して搭載し、現在の素晴らしいコンディションを得るに至った。そして、1998年のペブルビーチ・コンクールの戦後GT部門で、見事第一位に輝いたのである。