1950年代のレースシーンで活躍したDBは、創始者の二人、シャルル・ドゥーチュの "D" とルネ・ボネの "B" のイニシャルから名付けられた。個性溢れる小型車、パナール・ディナのコンポーネンツを流用した独創的なスポーツカーで当時のレースに参戦、特にル・マン24時間では、5回にも及ぶ性能指数賞を勝ち取るなどの目覚しい成果を得たコンストラクターである。パナール・ディナ用空冷フラットツインの排気量は745ccに過ぎないが、DBの得意としたエアロダイナミックスと軽量設計を最大限に活用し、侮りがたいスピードを示した。またANTEM製ボディの特徴的なスタイルは、自動車デザインの見地からも高い評価を得た。今回の出品車は、当時ルネ・ボネ自身が搭乗して、主に北米のレースにて活躍した元ワークスカー。1952年のセブリング12時間では13位完走に終わるが、翌1953年のワトキンス・グレンとブリッジ・ハンプトンのレースではクラス優勝を果たしている。