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審査員ご紹介
■ 特別審査委員長
レオナルド・フィオラバンティ (フィオラバンティ S.p.A 社長)
この30年間のカー・デザイン界で最も有名な人物の一人。
ピニファリーナで24年間、デザイン・ディレクターとして常に大きな企画に携わり、重要な役割を果たしてきた。彼のデザインとその方向性をもとに、ピニファリーナは、数多くの名車をモーターショー、生産ラインなどにリリースしてきた。代表的な企画としてあげられるのが Ferrari 365 GTB 4 "Daytona" 365GT4。フェラーリのボディーデザインを最も理解している人物といえよう。
ピニファリーナを退社後は、フェラーリ・エンジニアリングをモデナに設立し、フィアット・オートモービル・グループのデザイン・センターを短期間指揮した後、カー・コンセプトデザイン、エンジニアリングを個人スタジオで行なった。彼の会社、レオナルド・フィオラヴァンティーは、数多くのデザインを手がけ、日本のフェラーリ・コレクターが所有する、最近話題のフェラーリSP1など、世界の自動車産業に特許技術革新をもたらした。 |
■ 特別審査員 (順不同)
中村史郎(日産自動車常務執行役員/カーデザイナー)
1950年 大阪府生まれ。1974年 武蔵野美術大学(工業デザイン専攻)卒業後、いすゞ自動車株式会社入社。 1981年 アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(米) トランスポート(交通)デザイン科首席修了。 1985年 GMデザインアドバンススタジオ(米)に勤務。 1999年 日産自動車に入社後は、日本独自の美意識と日産自動車の伝統をベースとした、独創的かつ革新的なデザインを生み出す。フェアレディZ、キューブ、GT-R、Juke、LEAF などのNissanブランド車種、M、FX、Essence などのInfiniti ブランド車種、すべてのデザインを統括・指揮している。 2006年4月より現職。デザインのほか、全社のブランドマネージメントを統括する。また、コンクール・デレガンス(ペブルビーチ、東京)、ルイ・ヴィトンクラッシック(仏)など、国内外で開催される自動車コンクールの審査員を務める。 2002、2003年、自動車専門メディア(米)「Automotivie News All-Stars」を受賞。最近では、Fast company 誌(米)による「100 Most Creative People in Business」に選ばれる他、Eyes on Design(米)「Lifetime Design Achievement award デザイン特別功労賞」を受賞した。 |
山内一典(ポリフォニー・デジタル プレジデント/ペブルビーチ・コンクール・デレガンス審査員)
世界で5500万枚以上の売り上げを記録したビデオゲーム『グランツーリスモ』シリーズ・プロデューサー。1992年、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント入社、プレイステーションの立ち上げに携わる。1997年、初代『グランツーリスモ』をプロデュース、日本国内のみならず、アジア、北米、欧州でも発売され、全世界で約1085万本を売り上げる大ヒットを記録。1998年に株式会社ポリフォニー・デジタル設立、同時に同社プレジデントに就任。2001年(第22回)からは日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務め、2008年からは「ペブルビーチ・コンクール・ド・エレガンス」名誉審査員を務める。 『グランツーリスモ』シリーズ以外のプロデュース作品は『オメガブースト』『ツーリスト・トロフィー』など。株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント シニアバイスプレジデントおよび、同ワールドワイド・スタジオ エグゼクティブバイスプレジデントを兼務。現在は最新作『グランツーリスモ5』の発売を目前に控えている。 |
奥山清行(工業デザイナー/Ken Okuyama Design代表)
1986年にアート・センター・カレッジ・オブ・デザインを卒業。その後3年間、東北芸術工科大学の臨時教授を務める。ジェネラル・モーターズとポルシェで、水冷 Porsche 911 / Boxsterのデザイン協力。その後、ジェネラル・モーターズに勤務。カリフォルニアのアドバンスト・コンセプト・センターで、Camaro、C5 Corvetteのデザインを担当。2004年5月、ピニファリーナのクリエイティブ・ディレクターとしてEnzo Ferrariのデザインを指揮。クリエイティブ・ディレクターとして、Ferrari 599、三菱Colt CZC、Maserati Birdcage 75th、そしてFerrari P4/5などのプロジェクトを指揮。2006年にピニファリーナ退社後、Newton Design Labを設立。小型ロボット"Nuvo"のデザインなど、ロボットや家具なども手掛け、2007年後半には、国産眼鏡コレクションのKen Okuyama Eyes collectionを立ち上げた。 2008年のジュネーブ・モーター・ショーでは、カーボン・ファイバーで未塗装のアルミを使用したツーシーターの、自身初となるコンセプトカー、K.O. 7 Spiderを発表。TAG Heuer Grand Carreraのデザインにインスピレーションを得て、高級時計ブランド TAG Heuerと協力し、ダッシュボードにTAG Heuer Grand Carreraを設置。2008年には、Ken Okuyama's studioにて K.O. 7 Spider最初の20モデルを生産。最近では2010年5月に、日本とヨーロッパのコンテンポラリー・インテリア・グッズを販売するインテリア・ショップ、Ken Okuyama Casa を日本にオープンした。 |
ジャーゲン・ルワンドウスキー(モータージャーナリスト/ヴィラ・デステ・コンコルソ・デレガンツァ審査員)
ドイツの大学に在学中、1973年から1978年の間、有名なイエガーマイスター・マックスモリッツ・レーシングチーム(ドライバー:Manfred Schurti, Jacky Ickx, Jurgen Barthなど)のコーマネージャーとして、Porsche Carrera RS / RSR、 934、935を走らせた。大学在学中はまた、auto, motor und sportのフリーランス・ジャーナリストも務めた。1977年から1979年3月は、当時有名だったテクニカル・マガジン、HOBBYのモーター・エディターとして活躍。1979年4月から2000年12月は、ドイツで最大の新聞社、Suddeutsche Zeitungのシニア・モーター・エディターを務め、以降はNeue Zuricher Zeitung (CH)、Ganske Verlagsgruppe、ADAC-Motorweltのフリーランス・ライターや、テレビ番組や映画への出演、車や車の歴史に関する80冊余りの書籍を出版。30年以上にもわたるカー・オブ・ザ・イヤー、エンジン・オブ・ザ・イヤーの審査員メンバーとしての経験があり、16年間、ジャーマン・モーター・プレス・クラブのプレジデント(MPC)を勤め、コンコルソ・デレガンザ・ビラデストの審査員メンバーとしては10年間活躍。 2009年には、自身によるコンクール・イベント、Schloss Bensberg Concoursを企画。 |
サンドラ・バトン(ペブルビーチ・コンクール・デレガンス大会会長)
25年以上にわたりぺブルビーチ・コンクール・デレガンスにおいて重要な役割を担う。イベント初のフルタイム・エグゼクティブ・ディレクターを務めた後、2002年にコンクールのチェアマンに就任。また、ぺブルビーチ・ツアー・デレガンス、ぺブルビーチ・レトロオート、そしてぺブルビーチ・モータリング・クラシックなどの関連イベントの企画、そして拡大に携わる。世界中の自動車関連イベントに積極的に参加。彼女と夫のマーチン・バトン氏のコレクションは、1901年De Dion vis-a-visから、1937年SS100 Jaguar、1957年Alfa Romeo Giulietta、1972年Ferrari 365 GTC/4 coupeまで、幅広い車種で成り立つ。ご夫婦そろって、Mille Miglia、100 Millas Sport Argentina、ロンドンからブライトンを走るベテラン・カー・ランなど様々なドライビングイベントに頻繁に参加。毎年、さまざまなカー・ショー、ラリー、そしてツアーなどに審判員として出席。 ロイヤル・オートモービル・クラブ、アメリカ・クラシックカー・クラブ、モーター・プレス・ギルド、ソサエティー・オブ・オートモーティブ・ヒストリアンズのメンバー。 |
マルコ・レヴェルディート(シティカードジャパン 取締役社長)
2010年2月より、シティカードジャパン株式会社の代表取締役社長 兼 チーフ・エグゼクティブ・オフィサーに就任。現職に就く以前は、シティの本店であるニューヨークにおいて、インターナショナル・カード部門のチーフ・オペレーティング・オフィサーを務め、世界40カ国以上におけるシティのクレジットカード業務の戦略とパフォーマンス管理を統轄。それ以前は、台湾で個人向け業務部門の最高財務責任者を務めた。
2006年の金融危機、55支店と100万人の顧客を増加となった2007年の華僑銀行買収においては、シニア・マネジメント・チームの一員として重要な役割を担い、事業を支えた。ヨーロッパにおいてのシティのキャリアは1995年にスタートし、ポルトガルとイタリアでクレジットカード業務の立ち上げを担った。その後、財務部門に加わり、スペインおよびポルトガルにおいて、シティの個人向け銀行業務部門の企画・分析・レポーティングの責任者に就く。ニューヨークにてインターナショナル・カード・ファイナンス業務に短期間従事した後、シンガポールへ赴任し、シティのアジア太平洋地域におけるカード部門の最高財務責任者に就任する。 イタリア、ミラノのボッコーニ大学を首席で卒業、学士号を取得、イギリス、ロンドンのロンドン・ビジネス・スクールよりMBA 取得。 イタリア人としての彼は、美しい車を夢見て育った、と語る。 |
バレンチノ・バルボーニ(ランボルギーニ 元チーフ・テスト・ドライバー)
ランボルギーニの元チーフ・テストドライバー。40年間ランボルギーニに務め、2008年に引退。見習いメカニックとして1968年にランボルギーニに入社。ランボルギーニの創設者でもある、フェッルチオ・ランボルギーニ直々の指名で新車のテストドライバーを務め、在職中にランボルギーニが生産した全車両の80%を運転。 ランボルギーニは、2009年7月の引退を祝して、コーナリングのスリル好きな彼のために、後輪駆動の“バレンティーノ・バルボーニ・エディション”スーパーカー、250 Gallardo LP550-2 のスペシャルランを発表。 |
笹本健次(ネコ・パブリッシング代表取締役社長)
本大会運営委員長。ネコ・パブリッシングの社長にしてカー・マガジン誌編集長。数々のクラシックカーイベントを成功させ、車を趣味とする文化の普及に努めた。コンクールについては、審査員の他、自らも出品した経験を持つ。 |
徳大寺有恒(自動車評論家)
日本のモータースポーツ黎明期にトヨタのワークス・ドライバーとして契約。その後、フリーランスのライター/編集者として活躍後、「間違いだらけのクルマ選び」で自動車評論家としてデビュー。同書はその年のベストセラーとなる。以後、各年度毎の同書を著し、「ベストカー」や「NAVI」そして「ENGINE」での連載を行ないつつ、年に数冊のペースで自動車批評書を発刊。現在活躍中の評論家で氏の影響を受けた者は少なくない。
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片岡秀之 (CCCJ:日本クラシックカークラブ財政顧問)
1956年に創設された、クラシックカーの愛好家団体の草分け的存在CCCJ(日本クラシックカークラブ)の財政顧問を務めている。クラシックカーに関する豊富な知識を持つエンスージアストでもある。 |









































この30年間のカー・デザイン界で最も有名な人物の一人。
ピニファリーナで24年間、デザイン・ディレクターとして常に大きな企画に携わり、重要な役割を果たしてきた。彼のデザインとその方向性をもとに、ピニファリーナは、数多くの名車をモーターショー、生産ラインなどにリリースしてきた。代表的な企画としてあげられるのが Ferrari 365 GTB 4 "Daytona" 365GT4。フェラーリのボディーデザインを最も理解している人物といえよう。
1950年 大阪府生まれ。
世界で5500万枚以上の売り上げを記録したビデオゲーム『グランツーリスモ』シリーズ・プロデューサー。
1986年にアート・センター・カレッジ・オブ・デザインを卒業。その後3年間、東北芸術工科大学の臨時教授を務める。ジェネラル・モーターズとポルシェで、水冷 Porsche 911 / Boxsterのデザイン協力。その後、ジェネラル・モーターズに勤務。カリフォルニアのアドバンスト・コンセプト・センターで、Camaro、C5 Corvetteのデザインを担当。2004年5月、ピニファリーナのクリエイティブ・ディレクターとしてEnzo Ferrariのデザインを指揮。クリエイティブ・ディレクターとして、Ferrari 599、三菱Colt CZC、Maserati Birdcage 75th、そしてFerrari P4/5などのプロジェクトを指揮。
ドイツの大学に在学中、1973年から1978年の間、有名なイエガーマイスター・マックスモリッツ・レーシングチーム(ドライバー:Manfred Schurti, Jacky Ickx, Jurgen Barthなど)のコーマネージャーとして、Porsche Carrera RS / RSR、 934、935を走らせた。大学在学中はまた、auto, motor und sportのフリーランス・ジャーナリストも務めた。
25年以上にわたりぺブルビーチ・コンクール・デレガンスにおいて重要な役割を担う。イベント初のフルタイム・エグゼクティブ・ディレクターを務めた後、2002年にコンクールのチェアマンに就任。また、ぺブルビーチ・ツアー・デレガンス、ぺブルビーチ・レトロオート、そしてぺブルビーチ・モータリング・クラシックなどの関連イベントの企画、そして拡大に携わる。
2010年2月より、シティカードジャパン株式会社の代表取締役社長 兼 チーフ・エグゼクティブ・オフィサーに就任。現職に就く以前は、シティの本店であるニューヨークにおいて、インターナショナル・カード部門のチーフ・オペレーティング・オフィサーを務め、世界40カ国以上におけるシティのクレジットカード業務の戦略とパフォーマンス管理を統轄。それ以前は、台湾で個人向け業務部門の最高財務責任者を務めた。
2006年の金融危機、55支店と100万人の顧客を増加となった2007年の華僑銀行買収においては、シニア・マネジメント・チームの一員として重要な役割を担い、事業を支えた。
ランボルギーニの元チーフ・テストドライバー。40年間ランボルギーニに務め、2008年に引退。
本大会運営委員長。ネコ・パブリッシングの社長にしてカー・マガジン誌編集長。